映画「ボストン市庁舎」で思ったこと
2022年1月27日木曜日雑感
▼以前、本ブログ(https://oida-masakatsu.jp/blog/20211004213757.html)でご紹介したフレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画「ボストン市庁舎」を岐阜市のCINEXで観てきました。
▼チラシのコピーは「ようこそ、市民のための市役所へ。」です。何とも心躍るキャッチです。また、「警察、消防、保健衛生、出産、結婚、死亡記録、数百種類ものサービスを提供するボストン市役所の挑戦。」ともありました。
▼平日の昼間、しかも274分もの超大作です。いったいどのくらいのお客さんが来るのだろうと思って上映開始15分前に入場。私が一番乗り。もしかして私ひとりか⁉と一瞬思いましたが、すぐに一人二人と続いて入場。最終的には20人位の観客となりました。予想外の人数に驚きました。ちなみに、入場料は2,800円で約2本分でした。
▼映画の中身はというと、多様な人種や文化が共存する大都市ボストンを率いるマーティン・ウォルシュ市長を中心に描かれています。撮影された2018~19当時のアメリカを覆う分断化(トランプ政権!)のなか、「ここではアメリカ合衆国の問題は解決できません。しかし、ひとつの都市が変われば、その衝撃が国を変えてゆくのです。」と語る市長と市職員たちの挑戦を通して「市民のための市役所」の可能性が見えてきます。いわゆる「お役所仕事」という言葉からはかけ離れた、驚きとユーモアと問題提起に満ちた場面の数々です。ボストン市庁舎を通して「人々がともに幸せに暮らしていくために、なぜ行政が必要なのか」を紐解きながら民主主義の根幹が見えてきます。
▼また、市職員だった経験からボストン市庁舎の仕事は、日本の自治体(大垣市役所)の仕事と驚くほどに似ていると感じました。市の予算、図書館や公園のバリアフリー、火災現場への出動、国への要望、道路補修、樹木の剪定、文化財の整理、障がい者の働き場所、教育委員会での議論、これらは日常的に市役所での風景そのものであると感じました。ゴミを収集する場面では、当然、ゴミは勝手になくなるのではなく、市が収集しています。日本でもアメリカでも、自治体がゴミを収集し、焼却し、埋め立て処分する。それには市民の税金が使われている。しかし、問題は、このような市役所の仕事が、市民からは見えにくいということだと思います。ウォルシュ市長も「市が何をやっているのかを市民に伝えられていない」と言っています。4時間半の間、大垣市はどうだろうと本作で描かれている様子を大垣に置き換えながら映画を観ていました。
▼最後に、個人的に気に入ったウォルシュ市長の言葉を紹介します(正確ではありませんが)。「扉を開くのが私の仕事だ。そこから若者たちが未来へ飛び出していく」「協力し合えば大抵のことができる。それこそが民主主義だ」