ひらやすみと若者たち
2026年1月4日日曜日雑感
特に目的があったわけでもなく、なんとなく見始めたのですが、これが思った以上に心に残りました。
大きな事件が起きるわけでもなく、派手な成功物語が描かれるわけでもない。
それなのに、画面の向こうの若者たちの姿を見ながら、ずっと考えてしまったのです。
「いまの若者って、なんだかかわいそうだな」と。
もちろん、われわれ昭和の若者だって迷っていました。
将来に不安を抱え、自分は何者なのか悩み、仲間とぶつかり合いながら生きていた。
たとえば 50年前のドラマ「俺たちの旅 」に出てくる若者たちは、その象徴のような存在です。
彼らは不器用で、失敗も多く、決して格好いいことばかりではない。
それでも、「この先には何かある」「進めば道は開ける」という感覚を、どこかで共有していました。
迷いながらも視線は外に向き、未来のほうを見ていたように思います。
(「ふぞろいの林檎たち」の若者は努力すれば報われると信じたいがすでに裏切られ始めている世代、同じ若者でも条件は平等ではないという現実が描かれていました。でも眩しく輝いて見えたのはギズついてもなお前に進もうとしていたからだと思っています。私はこの世代が近いかも知れません。)
さて一方で、『ひらやすみ』に出てくる若者たちは、とても静かです。
社会に怒りをぶつけるわけでもなく、夢を大きく語るわけでもない。
ただ、今日を無事にやり過ごし、少し疲れたら休み、また明日を迎える。
その姿を見て、「同じように迷っているのに、時代はずいぶん変わったな」と感じました。
令和の若者がかわいそうに見えるのは、迷いながら一歩ずつ進もうとしているのに、その先に明るい出口(未来)が見えにくいからなのかもしれません。
「頑張れば報われる」
「努力すれば何かになれる」
そうした言葉を、彼らはもう素直には信じられない。
だからこそ、無理に前へ出ない。
大きな夢を語らない。
競争から一歩引いて、「壊れないように生きる」ことを大切にしている。
それは昭和の価値観で見ると、少し物足りなく映るかもしれません。
「もっと挑戦すればいいのに」「若いうちからそんなに慎重でどうする」と言いたくなる気持ちも、正直あります。
でも同時に、こうも思いました。
これは弱さではなく、いまの時代に合わせた若者らしい生き方なのではないか、と。
先が見えない社会の中で、無理に走らず、立ち止まり、休みながら生きる。
大成功ではなく、小さな安心を積み重ねる。それは派手ではないけれど、とても誠実な生き方です。
昭和の若者が「前へ進むことで未来をつかもうとした世代」だとすれば、
令和の若者は「今を守りながら未来を探している世代」なのかもしれません。
同時に思うのは、親世代として何ができるのかということです。
正直に言えば、私たち大人が
「明るい未来」を用意してあげることはできません。昭和のような、分かりやすい成功モデルを示すことも、もう難しい。だからこそ、できることは限られている。
でも、限られているからこそ、大切なことも見えてきます。
ひとつは、急がせないこと。
「若いうちに」「早く一人前に」
そう言われるのが当たり前だった時代は、もう終わりました。
先が見えない時代において、スピードは必ずしも正解ではありません。
立ち止まる時間や、遠回りする時間を、否定しない大人でいたいと思います。
もうひとつは、過度な期待を押し付けないこと。
「夢はあるのか」「将来どうするんだ」と問い詰めるより、
「今日はどうだった?」と聞ける関係のほうが、きっと大切です。
大きな目標がなくても、生きていていい。そう伝えられること自体が、いまの子どもたちにとっては支えになるはずです。そして何より、安心できる居場所を残すこと。失敗しても、うまくいかなくても、戻ってこられる場所がある。社会が冷たくなればなるほど、家庭や身近な大人の役割は重くなります。
令和の若者は、決して怠けているわけでも、甘えているわけでもありません。
ただ、壊れないように、生き方を調整しているだけです。親としてできるのは、背中を押し続けることではなく、
「いつでも休んでいいよ」と言えることなのかもしれません。
『ひらやすみ』を見て、
令和を生きる若者の姿に少し切なさを感じながら、それでも、この時代を生き抜こうとしている子どもたちを、静かに信じていたい。
そんなことを思ったお正月でした。