2025年を振り返って
2025年12月31日水曜日雑感
さて、あと数時間で2025年が終わろうとしています。一年を振り返って、あらためて感じるのは、私たちが目先の損得にとらわれ、長期的な視野を欠いてはいけないということだと思います。
たとえば、お米券の配布。本当にそれは必要な支援だったのでしょうか。地方交付税に算定される以上、結局は「自分たちのお金の使い道をお米に限定した」だけで、生活全体の不安や将来の備えにどこまで応えられたのかは、冷静に検証されるべきです。
同様に、年収の壁の引き上げ、高校授業料の無償化、ガソリン暫定税率の廃止など、国民負担の軽減をうたう政策が相次ぎました。しかし、その多くは十分な財源の裏付けや制度全体への影響の説明が不十分なまま進められてきたように思います。
こうした「その場その場で負担を軽くする」政策は、一見すると歓迎されやすいものです。しかし、財政や制度は本来、継続性と予見可能性があってこそ信頼されるものです。政策が頻繁に揺れ動けば、自治体の計画も、事業者の投資判断も、家計の将来設計も不安定になります。変動が大きいこと自体が、社会全体のコストを高めてしまうのです。
足元の国民負担軽減を最優先するあまり、将来世代への説明を欠いたまま進む政策は、残念ながら「ばらまき」と言われても仕方がありません。
また、私自身も含めて、うつろいやすいネット上の論調に一喜一憂しすぎないことを心がけたいと思います。短い言葉や強い表現ほど注目を集めますが、社会を支える制度は、もっと地味で、時間のかかる議論の積み重ねによって形づくられるものです。
地方政治に関わる一人として、耳ざわりのよい言葉や一時的な支持を求める安易なポピュリズムに流されないこと。必要なことを、必要だと説明し続ける姿勢を、自分自身にも強く求めながら、2026年を過ごしていきたいと思います。
2026年を迎えるにあたり、感情や一時の空気に流されるのではなく、長い時間軸で物事を考え、説明責任を大切にする姿勢を、あらためて大事にしていきたいと思います。
皆さんにとって、新しい年が、冷静さと希望を取り戻す一年になりますように。