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令和6年3月議会(一般質問)

2024年3月11日月曜日活動記録

▼3月11日(月)、大垣市議会にて一般質問に登壇させていただきました。毎回、長文で恐縮ですが、全文を掲載させていただきます。
 
【今回の一般質問】
①職員採用試験の年齢制限について
②個別避難計画の作成状況について
③地区防災計画の策定について
④解体される市民会館の有効活用等について

 
◆大垣ケーブルテレビ録画放送日
3月17日(日)9:00~(私の出番は14:00頃です)
3月19日(火)16:00~(私の出番は20:00頃です)

 
【一般質問】
▼自民党緑風会の種田昌克でございます。
1月1日元旦に能登半島地震が発生し、また本日3月11日は東日本大震災から13年目を迎えます。先ほど、全員で黙祷を捧げたところですが、改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心からお悔やみを申し上げます。
それでは、通告に従いまして、4件につきまして質問したいと思います。
▼まず1件目、職員採用試験の年齢制限についてお尋ねいたします。
春は出会いと別れの季節といわれ、そろそろ桜のつぼみも膨らみ始めるころかと思います。先日、南中学校の卒業式にでかけまして実に感動しました。式の最後に合唱があるのですが、イントロが流れた瞬間、「えっ、まさか、あの曲!?しまった、ハンカチ忘れた」と少し動揺しました。107人の卒業生が合唱曲「群青」を披露したんですね。それもすばらしい歌声で。そして巣立っていきました。これは私にとってはとても驚きで、ご存じの方もおられると思いますが、この曲は福島県南相馬市立小高中学校の平成24年度卒業生が、東日本大震災によって、亡くなったり、全国各地に離ればなれになってしまった仲間を思って、つぶやいたり、書き留めた言葉を、音楽の先生がまとめ、曲をつけた作品です。このたびの卒業式において幼いころから知っている生徒たちが、あの「群青」を歌うまでに成長した姿に感動し思わず涙しました。教職員のみなさま方に心よりお礼申し上げます。
●合唱曲「群青
https://www.youtube.com/watch?v=NSpOqV358iM
▼さて、4月になると本市におきましても大きな夢と希望に胸をふくらませ、無限の可能性を秘めた多くの新人職員が入ってくると楽しみにしているところです。本市ではこのような職員採用案内を作成して人材を募っております。表紙には「未来の大垣を創る、あなたと共に歩む」と、市長がいつもいわれる「共創」という二文字が隠されているというか散りばめられた素敵なコピーが書かれておりまして、ページを開くと、「先輩ストーリーズ」という特集ではいろんな部署で働く職員のみなさんの前向きなメッセージが読む我々のこころをぐっとつかむ内容です。これを手に取られた方は「自分も大垣市の職員になりたいなあ、この人たちと一緒に市民の為に働きたいなあ」と思うこと請け合いです。
▼ところが、残念なことに、本市においては、社会人区分一般事務採用の場合、採用の時点で37歳以下でないと受験する事ができないんです。
▼2007年に改正雇用対策法がスタートし、事業主は労働者の募集及び採用について年齢に関わりなく均等な機会を与えなければならないこととされ、年齢制限の禁止が義務付けられました。背景としては、少子高齢化が進行するなかでわが国が成長していくためには、個々人が年齢ではなく、その能力や適性に応じて活躍の場を得られることが重要となっていることがあります。当然、「次世代を担う若手人材を採用したい」と考える人事担当者も多いかと思いますが、年齢制限する形で求人を掲載することは雇用対策法10条により基本NGとなっております。
▼しかし、例外的に年齢制限が認められる場合があります。それが公務員の採用試験です。雇用対策法38条2項により適用除外とされています。その理由は、公務員は担当業務に応じて様々な法律知識や専門知識を広く、深く身に付けなければならず、そのためには、ある程度の年数を要する、とか、特定の年齢に偏ることなく均一的な組織体制をとるためなどの理由があるそうです。
▼あくまで年齢制限を設けることは行政の裁量権の範囲内といっているだけで必ずしも年齢制限を設けなければならないと言っているわけではありませんが、先ほどのような理由から、本市においては37歳以下という年齢制限を設けているのだろうと思います。しかし昨今、全国的には59歳まで受験可能、つまり実質、年齢制限なしという自治体が増えてきております。このあと質問させていただくのですが、昨年、「個別避難計画」について学ぶために、大分県別府市のご担当者にお話を聞きに行ってまいりました。調整型から立案型への転換がいまどきの公務員には求められているのですが、そういった「自ら考え、リスクも取りながら政策を立案する」方を近頃では、スーパー公務員と呼ぶのだそうです。この方は、おそらくそういったうちのおひとりなんだと感じたのですが、私より先輩と思しきその方に防災担当としての経験年数をお尋ねすると5年とのことでした。それに加え、市職員になってからも5年だと言われるので驚きました。それまでは社会福祉協議会に努めていて、55歳くらいで市役所職員になったとのことでした。このように年齢に関係なく有能な方を採用している自治体が他にもあるのではないかと思い、調べてみると年齢制限を撤廃した自治体が全国には結構あることがわかりました。そのうちのひとつ平成15年に年齢制限を撤廃した千葉県市川市を視察し人事担当者にお話を伺いました。まず、市川市では教養試験などは行わず、人物重視でSPI試験と面接で合否を決められているそうです。これまでに受験者の最高齢は59歳、合格者の最高齢は51歳とのことでした。総じて、能力とやる気があり、社会人としてさまざまな仕事についていた経験をいかして精力的に働いている方が多く、全国から良い人材を採用する事ができることがメリットで、最近では長崎県在住の方が合格し家族で移り住んで働いておられるとのことでした。一方、デメリットとしては応募者が多く事務処理が大変であることだそうです。うれしい悩みだと思います。
▼ちなみに、県内では岐阜県庁が社会人経験者事務一般採用の場合、59歳まで受験可能となっており実質年齢制限はないそうです。なお、採用された場合は「主任」からのスタートだそうです。
▼そこで、本市職員にもさまざまな職種があろうかと思いますが、代表的な職種の一般事務職と土木職の採用状況についてお尋ねします。また、民間同様、機会の平等の観点から、社会人経験者採用試験の年齢制限を廃止してはどうかと思いますがいかがでしょうか。
 
▼続きまして、防災に関する質問を2つするまえに、大規模地震対策というのは、どれほどやっても100%万全を期すことは困難であります。それでも被害を最小限に抑えるためには、何が必要なのか。能登半島地震を踏まえ、しっかりと、防災計画を整備することが必要であると考えます。そのため、災害対策基本法は、国に「防災基本計画」、自治体に「地域防災計画」の作成をそれぞれ義務づけ、大地震などが発生した場合は実情を踏まえてその都度見直すように求めているわけです。本市においても「大垣市地域防災計画」が整備されています。今回の能登半島地震を踏まえて見直しの動きがあるのだろうと思いますが、今回は地域防災計画と切っても切り離せない計画である「個別避難計画」と「地区防災計画」について質問させていただきたいと思います。
▼東日本大震災のあと、自助、共助、公助がうまくかみあわないと大規模広域災害への対策がうまく働かないということが強く認識されました。そこで、平成25年の災害対策基本法改正において、自助及び共助に関する規定が追加され、地域コミュニティにおける共助による防災活動推進の観点から、「地区防災計画制度」が新たに創設されました。
▼また、近年の災害において、多くの高齢者や障害者等の方々が被害に遭われている状況を踏まえ、令和3年の法改正により、 避難行動要支援者について、「個別避難計画」を作成することが市町村の努力義務とされました。
▼この「地区防災計画」と「個別避難計画」は、非常に重要な計画であります。
▼まず、個別避難計画についてですが、昭和60年頃から「災害弱者」という言葉が使われ始めました。それが平成16年頃から「災害時要援護者」となり、平成25年から高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する人を「要配慮者」と呼ぶようになり、そのうち、自ら避難することが困難で、避難のため特に支援を要する方々を「避難行動要支援者」と呼ぶようになりました。名称がいろいろとあるので覚えるのが大変なのですが、単に名称が変わったのではなく、具体的なターゲットが変わってきたということなので注意が必要です。
▼さて、平成25年の法改正によって、「避難行動要支援者名簿」の作成が市町村に義務付けられました。消防庁の全国調査によると、本市はもちろんのこと全国すべての市町村で作成済みとなっております。しかし、この要支援者名簿やそこから作られる要援護者台帳に関する課題は非常に多く、例えば、真に避難支援が必要な対象者を把握できているのか。つまり、自治会や民生委員などと連携して、具体的にどのくらいの頻度で更新がされているのか、また、台帳については平時から、情報の共有が必要だと思うのですが、では、本市の場合、自治会や消防など関係機関との台帳や情報の共有はどうしているのか疑問となります。
そこで、1点目、どのように対象者を把握し名簿や台帳を作成、更新をされているか。2点目、平時からの自治会、民生委員、児童委員、福祉推進委員等との連携はどのようになっているのか。3点目、「災害時要援護者台帳」について、関係機関との共有についてはどのようになっているかお尋ねします。
▼次に「個別避難計画」についてですが、これは「避難行動要支援者」ごとに作成する避難支援のための計画です。令和3年の法改正により、避難行動要支援者について避難支援等をするための個別避難計画を作成することが市町村の努力義務となりました。さきほどと同じ消防庁の調査結果によると、全国的には全部作成済み9.1%、一部作成済み65.7%、未作成25.2%だそうです。避難行動要支援者名簿、災害時要援護者台帳と個別避難計画は車の両輪のようなもので、災害時要援護者台帳に記載されたすべての方について個別避難計画の作成が必要だと考えます。本市においては、どのような推進体制で作成しているか。また作成状況をお尋ねします。
 
▼続きまして、「地区防災計画」についてであります。
先般第10回大垣市防災ひとづくり塾が開催されました。今回も多くの方が参加されており、中には10代、20代ぐらいの若い人もおられました。とりわけ、「自主防災活動と地区防災計画」という、まさしくこれから話そうとしているテーマを扱ったカリキュラムも設けられており、危機管理室にお願いして聴講させていただきました。
▼地区防災計画制度というのは、地域に住んでおられる人たちや事業を行っている方々が、自発的に防災活動に関する計画を定められる制度です。
▼地区防災計画と似たような計画に自主防災組織、つまり本市の場合、自治会がつくる「自主防災計画」というものがありますが、この計画との大きな違いは、地区防災計画は作成にあたってボトムアップ型の防災活動に関する計画であること、つまり、計画を作りたいコミュニティは作っても良いよという仕組みです。自分たちが作りたいからつくるという「自主性」を重んじています。そして、自分たちが作成した地区防災計画の素案を市町村防災会議に対し、地域防災計画の中に規定するよう提案することができます。
▼現在、本市には800人以上の防災士がおります。防災士の方々が防災ひとづくり塾で得た知識やネットワークなどを十分にいかせるように、本市の防災力、地域力向上のため、地区防災計画や個別避難計画の作成を支援する地区の防災リーダーなっていただくと良いと思います。そこで今後、本市としてどのように「地区防災計画」の作成を推進していくのかお尋ねします。
 
▼最後に、解体される市民会館の有効活用等についてご質問いたします。
市民会館は今月末をもって閉館し、いよいよ来年度から解体工事が始まります。
解体に際して、単に解体されるのではあまりにも寂しく、最後の最後まで市民のために役立った市民会館であってほしいと思います。
▼たとえば、解体前にホールなどにおいて、消防用設備等を効果的に活用するための非常用エレベーターや排煙設備等を活用した訓練や鉄筋コンクリート造りの床および壁を活用して、コンクリート破壊技術のひとつである「ブリーチング」の訓練、また、ホールや会議室それぞれで火災が発生し、逃げ遅れた方がいるとの想定での消火救助訓練などさまざまな訓練を実施できると思います。
▼実際の建物を活用した破壊訓練などはなかなかやる機会はありません。今回の能登半島地震において、油圧ジャッキやバールを使って、地震で崩れ落ちたがれきの中から人を救出したとの報告を聞きいております。ぜひ、訓練の機会を提供していただけたらと思います。
▼そこで1点目、解体される市民会館をハンマーやエンジンカッターなどを使い救助する訓練に活用すれば、より実践的で役立つ訓練を行う事ができると思います。消防組合指令課に訓練に使わせてもらったらどうかと提案したところ、建物を所有する市から声をかけてもらえれば喜んで活用したいとのことでした。そこで、本市から大垣消防組合に訓練で活用するよう働きかけを行っているかお尋ねします。
▼また、2点目、大垣市民会館ロビーには、矢橋六郎画伯のモザイク壁画「花の如くに」があります。作品が失われるのではないかと心配する市民の声を耳にします。市民会館の解体に伴い、この議場正面にあります作品「西濃の四季」のように保存していただけるのかどうか、本市の方向性についてお尋ねします。
以上、1回目の質問といたします。
 
【答弁】
【市長】
・災害対策基本法に基づき、災害時の要支援者の避難場所や避難支援を行う方を記載する「個別避難計画」を平成26年度から作成している
・「避難行動要援護者台帳」については、自治会、民生委員・児童委員、警察署、消防署等と情報共有している
・「個別避難計画」の作成状況は作成率は約90%
 
【企画部長】
・採用試験の年齢制限については、専門性など必要に応じ、職種によっては年齢を45歳未満までに引き上げる等、柔軟な対応を行っているが、さらなる年齢の引き上げや撤廃を検討している
 
【生活環境部長】
・地区防災計画は、自主防災組織等が策定し、その過程においては、防災士等がリーダーとなり、災害時の不安や課題を整理し、何ができるかを地域住民と話し合う事が重要である
・地区防災計画は、市の地域防災計画を踏まえて策定する事で、効果的な防災訓練や防災備蓄に取り組む事ができ、地域防災力の向上が期待される
・中川地区においては、地区の防災士会が中心となり、自治会等と協働して地区防災計画の策定が進められている
 
【教育委員会事務局長】
・解体予定の市民会館を活用した実践訓練については、実施に向けて調整を図っている
・モザイク壁画については、時代に引き継いでいく必要があるため、解体工事の中で、取り外しを行い、保存する        
      
【まとめ】
▼ただいまは、それぞれにご答弁いただきました。
まず、職員採用試験の年齢制限についてですが、今後ぜひご検討いただきたいと思っております。
▼かつて、中国に「科挙」という制度がありました。清朝末期まで約1500年にわたって行われてきた官僚登用試験です。科挙の一大特徴は、身分や出自、家柄や職業、もちろん年齢など一切の制約がなく、誰でも平等に受験資格があったということです。誰にでも受験資格があるという「機会の平等」が保証されていたという点では開かれた民主的な制度ということになります。
ちなみに、曹松という人は70歳を過ぎてから合格したとのことですが、わが国においても、江戸時代において太田蜀山人は46歳で幕府の人材登用試験に合格しています。
▼私は、人材登用に年齢はそれほど重要でないと思っています。2030年には働き手が700万人足りなくなるという試算もある中で、民間ができて行政ができないことはないと考えます。市川市での視察を終え帰る際に、人事担当の方から「よかったら、うちの市役所を受けませんか。経験者大歓迎ですよ。」と言われました。社交辞令とは思いますが、全国から幅広い人材を集めようという貪欲さを感じました。
▼また、近いところで、海津市では、大手飲料メーカーの営業マンとして働いていた方が、55歳で役職定年を迎えられたのを機に、籍を残したままで海津市役所で町おこしを担っているとNHKの番組でみました。現在61歳であられるそうですが、ふるさと納税の担当として協力事業者を次々と開拓され、一緒に働く市役所職員にも大きな刺激となっているそうです。
▼本市が、若い人にもそうでもないひとにも夢に向かって漕ぎ出す勇気と希望に満ちた街になることを願っております。
 
▼続きまして、解体される市民会館の有効活用についてはぜひ進めていただきたいと思います。
今回の能登半島地震において、CSR訓練の重要性を感じました。CSRとはConfined(狭隘な)Space(空間)Rescue(救助活動)の略であり、狭隘空間における倒壊建物内からの救助活動を意味します。ぜひとも、来るべく災害に備えるため、さまざまな訓練に活用していただきたいと思います。
▼矢橋六郎画伯のモザイク壁画「花の如くに」についても、保存の方向というご答弁でした。ありがとうございます。近年、モザイク壁画を組み込んだ建築物が建て替えの時期を迎えたため作品が急速に姿を消しています。一方、全国をいろいろまわっていると思いがけず矢橋先生のモザイク壁画に出会う事があり、偶然の出会いに運命を感じたり、幸せな気持ちにさせられます。しかし、芸術作品と知られないまま建物とともに解体されたケースも多くあるのが現実です。保存や活用についてはこれから多くの課題があるかと思いますが、多くの人たちの知恵で良い保存方法を見つけていただけることを願っております。
 
▼個別避難計画ですが、「個別避難計画」とは、高齢者や障害者など支援を必要とする人たちの避難計画を一人ひとりの状況に合わせて事前に作成しておき、災害時に備えるものです。いつ、どこへ、誰と一緒にどうやって逃げるかなどを具体的に決めておく計画となります。
▼そのためには、名簿や台帳に記載されている方で、支援者が見つかった人は名簿などからはけていただく、見つかった人見つからない人を洗い出すことが大切だと思います。支援者が見つからない人を整理するのが名簿の役割だと考えます。
▼今回、本市ではかなり取り組みが進んでいることが分かりましたが、全国的には個別避難計画を作成するうえで、「防災と福祉の分断」が大きな問題といわれています。災害時に命を守る防災と、支援を必要とする人たちの日常生活を支える福祉の世界が、縦割りになって分かれていないでしょうか。今後は、よりいっそう、本市の防災担当と福祉担当が連携して計画作成や福祉避難所の訓練を実施することが必要だと思います。福祉の専門家が参加することで、一人ひとりの要支援者にあわせたさらに良い個別避難計画を作ることができるのではないでしょうか。
 
▼地区防災計画についてですが、地区防災計画を作成するためには、街歩きやワークショップ、計画作成、検証などPDCAサイクルによる作業が必須です。そのため、完成までに年単位の時間が必要になるかと思います。しかし、重要なのは、作っている過程で地域の方々が交流し、同じ目標に向かって議論を深められることにあります。実は、この過程が最高の防災訓練ともいえると思います。ワークショップの中に、さまざまなご職業、ご経歴を持たれた防災士の方々が入られることにより防災プラスアルファとなれば、防災の異種格闘技戦ともなりいろんなアイデアが提起されることは間違いないと思います。自分たちの地域をもっと知り、身近な生活の中に防災を取り入れていただく「生活防災」が究極の安全安心なまちづくりにつながるのではないでしょうか。
▼先般の防災ひとづくり塾では、自主防災組織の課題についても触れられていました。現在、本市においては自主防災組織というと単位自治会とイコールというところがほとんどだと思います。しかし、自治会長はいろんな役割があり非常に多忙です。また、自治会と言っても数軒というところから700軒というところまで多種多様となっています。講師の先生がいわれるには、たとえば、ひとつの小学校区で3つの自治会があったら、その3つで自主防災組織を作る、防災は小学校単位で行うのがベストであるとおっしゃっていました。確かに一理あると思います。議会総務環境委員会で岡山県笠岡市に地区防災計画について視察させていただきましたが、自主防災組織の長と自治会長はそれぞれ別の人をあてているとのことでした。東日本大震災で被災した女川市においては、復興を目指すまちづくりに多くの人が参加するのは大切な事ですが、自主防災組織の長は40代以下としていると聞いたことがあります。それは、20年後、30年後のまちづくりに、責任を取れない世代は口出しすべきではないとの理由からだそうです。耳の痛い話ではありますが大いに参考になる話ではあります。
▼また、今回の能登半島地震においては、これからの本市の災害対策について多くのことを考えさせられました。さきほど、わが自民党緑風会の同僚議員がさまざまな角度において述べられていますので重複しない部分で、5点ほど提言させていただきたいと思います。
▼まず1点目として「備蓄倉庫の集約化」です。災害時においては市役所職員も被災します。職員自身も手が回らない現状を見て、少ない人数でも物資を効率的に届けられる仕組みづくりを進めてはいかがでしょうか。もちろん、食料などは、大型スーパーなどと協定によるいわゆる流通備蓄に期待するところ大です。しかし、市民のみなさんが自分たちで必要な物を備蓄いただくことを前提に、行政としてはある程度までは公的備蓄をしなければなりません。
 例えば、四日市市には、市内に本市と同じような感じの防災備蓄倉庫を設置されておられますが、それに加え体育館のような大きな拠点防災倉庫を3か所持っておられます。土地開発公社所有の今後使う予定のない土地に建てたとのことですが、それぞれにフォークリフトを配備し、トラックごと倉庫に進入することができる災害物資集配拠点として活用しているそうです。
▼2点目は「エアーテントの備蓄」です。消防署の訓練などにおいてたびたび見かけていたエアーテントですが、今回、緊急消防援助隊として参加した消防職員に聞いたところ本当に役立ったと言っておりました。エアーテントは人手もかからず簡単に立ち上げることができ、災害時における避難所等の迅速な設営など、さまざま用途に活用することができます。エアーテントの備蓄推進を提言したいと思います。
▼3点目は「スターリンク」の導入です。能登半島地震では、携帯電話基地局が機能停止し、被災地の通信確保のため、アメリカ・スペースX社の衛星通信網「スターリンク」が活用されました。スターリンクは、低軌道で地球を周回する多数の小型通信衛星を使って、通話やインターネット接続を可能にします。衛星と送受信する専用アンテナなどを空に見える場所に置くだけで半径50メートル以内で無線LANによる通信が使え、LINEによる通話もできます。今回の地震では、計750台ほどが避難所のほか医療現場などで活用されています。最近では某倉庫型大型ショッピングセンターでも買うことができるようになりました。ぜひご検討願います。
▼4点目は「部活動の地域移行化を契機とした中学校防災部の創設」です。本市においては、令和7年度末までに、部活動を地域に移行することを目標とされておられますが、市内の中学校に防災部を創設してはいかがでしょうか。もちろん、指導者は市内に800人以上おられる防災士のみなさんにお願いすると良いと思います。先ほどから、800、800と言っておりますが、これは本当にすごい数なんです。三十三間堂の千手観音立像が1001体ですから、それに迫るような数なわけです。これは、本市がこれまで10年以上かけて育ててこられた防災士の有効活用になると思います。最近では、ぼうさい甲子園、防災ラジオドラマコンテスト、防災マップコンテストなど防災に関する全国大会が数多く行われています。能登半島地震によって、120キロ離れた場所での集団避難生活を送る輪島市門前中学の卒業生は、「いつか、私も人の心を温められる人になりたい」と語っていました。本市の、中学生たちにも実際の被災地を自分の目で見て、感じたり学んだりしていただきたいですし、なにより、これからも合唱曲「群青」を歌いついでくれるであろう若い人たちを、800人の御心を持った防災士たちが導いてくれたなら素晴らしいとは思いませんか。
▼5点目は、その「防災士事務局の市危機管理室への移管」についてです。
防災士は現在、連合自治会ごとに地区防災士会が整備されています。その多くはそれぞれの地区社協に所属しており、年2回、大垣市社会福祉協議会が事務局となり防災士会連絡会が開催されています。また、社協からは地域防災力向上事業という名目で、地区社協に年3万円の補助金がでているそうです。
私としては、防災士会の事務局が社会福祉協議会にあることが不思議でなりません。決して社協があかんといっているわけではなく、市危機管理室に置いた方がより良いのではないかというご提案です。
15年くらい前の話ですが、市と社会福祉協議会では協力して、災害ボランティア養成講座やボランティアセンター設置訓練を行っておりました。市は防災に関する最新の情報や知識、取り組みなどのトレンド情報、社協は平時からのボランティアを通じた人と人とのつながり、ネットワークなど、お互いが得意とするところを持ち寄り、本市の防災力、地域力向上のため協力し合ってきました。
現在、ほとんどの方が大垣市主催の「防災ひとづくり塾」で防災士資格を取得しています。普通に考えれば、市が防災士を組織化し、さらに育てて行くというのが当然の流れであると思うのですが、防災士会の事務局はなぜか社協となっております。
私は純粋に防災士のことを考えた場合、特別な事情がない限り、市危機管理室に防災士会の事務局を置くべきだと考えます。防災士の種をまいて、せっかく芽が出てきたところで、その後は社協にお任せするというのは理解しづらい。社協としてはどうしていくつもりか。市危機管理室としてはどうしていくつもりかといった方向性も見えづらい。市が各地区の防災士会の事務局を担い、防災士と常に顔の見える関係を作っていくべきではないでしょうか。
もちろん社協にも協力していただかなければなりません。大垣市社会福祉協議会は、今回の地震においても珠洲市のボランティアセンター立ち上げサポートのため職員を派遣しておられます。たとえば、防災ひとづくり塾に、社協のボランティアに関する時間を一コマ設けてはいかがですか。お互いの得意とする分野を分担し、協力して運営していけば、さらに良い防災ひとづくり塾、防災士会になっていくのではないでしょうか。
 
▼最後になりますが、1月2日、羽田空港でJAL機が海上保安庁機と衝突し炎上するという事故が発生しましたが、乗客乗員379人全員が無事脱出したことが奇跡と讃えられています。これはひとえに訓練の賜物だと思います。訓練というのはどうしても甘くなってしまう傾向があるかと思いますが、これは、機長や乗務員さんの普段からの徹底した訓練の積み重ねの結果だと思います。備えあれば憂いなしと言われるように、事前に準備した以上のことはできません。訓練というのは真剣にやらなければならないと改めて教えられました。その訓練を実行するためには、まず計画を作ることが重要となってきます。
▼地区防災計画づくりは、まちづくりにつながると思います。まちを作るためには、まず、人をつくらないといけません。コミュニティに暮らす人たちのいのちを守るために、人間力、地域力を創造していく、いえ本市の場合は「共創」していく。これは「まちづくり」と基本的に同じ取り組みだと考えます。中国のことわざに「一年先を見る者は花を植え、十年先を見る者は木を植え、百年先を見る者は人を植える」ということわざがあります。 
本市は、すでにこれを実践しております。防災ひとづくり塾ですでに800人以上のひとをつくり、たくさんの種をまきました。すで蕾は膨らみ始めています。あとは育て、花を咲かせるのみであります。話は最初に戻りますが、南中学校の「南」という文字の中には「幸」せという文字が隠されております。「群青」の歌詞にあるように「当たり前が幸せと知った」彼らに対し、われわれ大人はアンサーソングを贈らなければなりません。それは大切なふるさとを彼ら、次の世代の若者たちにバトンをつなぐものでなければなりません。
いつ東海地方に大規模地震が襲うのか誰にもわかりません。もしかしたら明日かも知れないし明後日かも知れません。しかし、いまならまだ間に合う。われわれは責任世代としてやらなければならない。
いつまでも、ふるさと大垣が彼らにとって「あの街」ではなく「この街」であり続けられるように。われわれ議会や行政はもちろん、市民の誰しもが、いまいちど自分ごととして、大地震が来る前に、東日本大震災から13年目の今日、「あたりまえの幸せのため」いますべきことは何かと思いめぐらす日にしていただくことを心からお願いし、私の質問を終わらせていただきます。
 

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