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早朝読書会

2021年6月22日火曜日雑感

▼早朝5時からの読書会に参加することを日課としています。毎朝、早起きして、朝焼けを見ながら車を運転して会場へ行きます。夜更かしをすると朝起きるのがしんどいため、欠席することも多いですが、参加するととても心が洗われる気持ちになります。そういえば「早起きは三文の徳」という言葉がありますが、実際に、朝の静寂した空間で、何かに取り組むことは、とても充実感と満足感を得ることができます。
▼さて、読書会のスタイルですが、指定された本を毎日1章ずつ読んでいきます。音読です。読みたい人が、次々に、「ハイ!」と手を挙げ、段落ごとに順に輪読していきます。先月からは詞集を読んでいますので、読む分量はとても少ないですが、とても考えさせられることが多いです。
▼今日は、「母親の見識」というページを輪読しました。とても、考えさせられる内容なので、ご紹介します。
『母親の見識』
小学校時代のこと
クラス対抗の野球試合があった
しかし、クラスメートの凡ミスで逆転負けした
 
試合終了後、みんなは彼を責めた
私もその一人となった
彼は最後に泣いてみんなに謝った
 
帰宅後、それを母に話した
すると、いつも優しい母が
私たちの行為の非を指摘した
 
母親に同意してもらいたくて話した私は
とまどったが、反論できなかった
母の言葉は厳しいものではなかったが、
なぜか反論を許さない雰囲気があった
 
“学”はなかったが、
そんな母であったことを
七十歳を過ぎたいま思いだす

 
▼この詞を読んで、いろんなことを感じるかと思います。特に職場などで、同僚や部下が失敗した経験を誰しもがお持ちだと思います。そういうときに、どのような態度をとるかで、人間性を垣間見ることができるというか、人間力が試されているのかなあと思います。
▼若い頃、飲食店でグラスを割ってしまったことがあります。すかさず、お店の人に謝り、「弁償させてください」と言いました。しかし、店主は、ニコッと笑って、「あ、それもう古いから新しいのと代えるところだったから」と言ってくれました。「いいですよ」でも「気にしないで」でもなく、明るく仰っていただき、何かホッとし、その後の食事が気まずいものにならずに済んだたことを覚えています。相手の立場にたつ。自分がそのような目に逢ったらどう感じるのかをまず考える。自分が逆の立場になったら、絶対にこんな感じで言おうと思っていますが、なかなか機会に恵まれないでおります。
▼話を戻しますと、子どものことですから、このような出来事は実際にあると思います。作者は、子どものころに、こうして母親に窘められたことはある意味幸運だったと思います。子どもの頃に注意されず、大人になっても、他人の気持ちがどうしてもわからない人、寄り添うことができない人は結構いるのではないでしょうか。こちらの方がやっかいです。「失敗学」というものがありますが、私はできるだけ若いうちに多くの失敗をしたほうが良いと思っています。私自身も、仕事での失敗は枚挙にいとまがなく、思い出すと赤面しそうなくらいですが、「失敗は成功の母」ともいいますし、かの本田宗一郎も「成功は99パーセントの失敗に支えられた1パーセントだ。」と言っておりますので、それらの失敗を含めて、現在の私が出来上がっているのだと自分自身に言い聞かせています。何事も失敗を重ねて、工夫をして、生みだされるものであり、失敗もせずに、いいものができるなんていうことは普通あり得ません。どんなことにおいても、失敗を肯定し、生かし、数多くの失敗から得られた貴重な知見を全体で共有して創造の糧とする。そして、よい形になるまで練り上げていく、「失敗から学ぶ」ことが必要なんだと思います。
▼しかし、作者のお母さんは立派ですね。私の祖母も大正生まれで、いわゆる“学”はありませんでしたが、作者のお母さんと同じように、孫である私たちを諭してくれました。それに比べ、大学まで行かしてもらった私の本当に浅知短才のことか、、、。
 

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