西田さんとの思い出
2021年5月8日土曜日雑感
▼防災士・西田重成さんがお亡くなりになりました。いつも元気ハツラツとされていて、このままいつまでもお元気に活躍されると思っておりましたので、大変ショックを受けております。西田さんは、昭和19年のお生まれなので76歳か77歳でした。まだまだこれからというところでしたが、昨年の新型コロナがはじまったころから体調を崩されて入院をされていたそうです。
▼西田さんとの出会いは2006年(平成18年)だったと記憶しております。自治会長になったばかりの西田さんが、大垣市役所生活安全課(当時)の窓口に、「防災訓練をしたいが、何をしたらわからないから教えてほしい。」と相談に来られました。たまたま対応したのが私でした。第一印象は、とても気さくでお話好きな近所のおじさんという感じでした。いろんな話で1時間ぐらいお話をした記憶があります。そのころ、私は市の防災担当者になって3年目でした。私が体験談として「西田さん、私も2年前まで防災というものがまったく分からなかったんですよ。でも、2年前に防災士という資格ができまして、私はそれを通信教育で勉強することにより防災の知識を得ることができました。なかなか大変でしたが、広く浅く防災の知識を得ることができました。最終的には東京か名古屋で試験を受ければ、このような資格証がもらえますよ。」とお話しました。すると、西田さんはグッと身を乗り出し、「俺もやってみるわ!」と言ってくださったのです。そのころは、大垣市では「防災士資格取得補助金」という制度があり、資格にかかる費用のほとんどを補助しておりましたが、実際はあまり利用されておらず、市民にとっても「防災士って何?」という感じでした。西田さんがほとんど一番最初の資格取得者だったと記憶しています。
▼上の写真は、その西田さんが防災士となって初めての講座を開いた時のものです。笠縫公民館でした。つまり、ご自分の町内で自治会長兼防災士としてDIG(災害時図上訓練)の講師を務められました。その後の、西田さんのご活躍はここで述べるまでもありませんが、おそらく1000回以上の防災講座をされたのではないでしょうか。
西田さんの功績は大きく2つあります。ひとつは、60歳を過ぎて防災の勉強を始め、その第一人者となったこと。これは、大垣市の生涯学習の極みとも言えます。これほどの方を私は存じ上げません。人生100年時代といわれます。今後、さまざまな分野において、西田さんのように50歳60歳を過ぎてから、何かにチャレンジして極めようという方が出てくることに期待したいと思っています。二つ目は、「防災士」という名前を世間に広めてくださったことです。西田さんに憧れて、防災士になった方が多かったとも聞きます。現在、大垣市には何百人もの防災士がおります。しかし、西田さんの域に達した防災士はおそらく数名しかおりません。例えは悪いですが、鬼滅の刃の「柱」の数より少ないと思います。これから西田さんの志を受け継ぐ防災士の誕生を期待しております。私も「育手」として頑張って参りたいと思っております。
▼西田さんとの思い出は数々ありますが、このあたりにしておきたいと思います。2010年(平成22年)、私が「大垣市防災ひとづくり塾」で公開シンポジウムを開催したときに、防災士ファーストジェネレーションの一人として、パネラーを務めてくださいました(ゲストは、気象予報士の半井小絵さんでした)。この数か月後に、東日本大震災が発生。このシンポジウムに参加した新人防災士の多くが、ボランティアとして東北へと「志のみ持参」で駆け参じました。本当にありがたかったことを記憶しております。
西田さんの志は、必ず受け継いでまいります。どうぞ安らかにお休みください。そして、これからの大垣市の防災を天国から見守りください。
これまで本当にありがとうございました。