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「石原信雄回顧談」(第3巻)を読む(2)

2019年7月14日日曜日本棚

【大内啓伍民社党委員長の話】
石原さんは大内さんには幾度かやられているらしく文章からもそれが読み取れる。
▼国連のPKOに参加するにあたっては、相手国が同意しているとか停戦合意が破られた時には直ちに引揚げるとか、五つの原則があるが、PKO活動を発動する際には国会の事前承認が必要だということに大内さんが非常にこだわった。公明党は、PKO協力法案はあくまで平和維持のための活動であることを法案の中に入れなきゃダメ、五原則が法案に入れば国会の事前承認は要らない、事後でいいと言っていた。しかし、大内さんがこだわった。
▼大内さんから石原氏に、「直接、宮澤総理から電話をもらえれば、それについては了承する」という話があった。そこで宮澤総理に大内さんが演説会をやっている会場に電話を入れてもらった。大内さんは会場で、「ただいま宮澤総理から緊急の電話が入ったので失礼します」と格好をつけて、宮澤総理から「お願いします」と頼んだら、「そうですか」と電話口で言っておきながら、演壇に戻って「今、宮澤総理から電話で事前承認の件は何とか取り下げてほしいという話があったが、私はお断りしました」と見栄をきり、宮澤総理は大恥をかき、私(石原)は宮澤総理に非常に申し訳なくて、それと同時に本当に腹が立ったんです。
【大内その2】
▼細川内閣のスタートのときは連立与党の第一会派は社会党だった。小沢代表からすれば、連立与党の筆頭理事が社会党だと嫌な法案はなかなか進まないのはいかんというわけで、社会党を除く会は全部を集めて、統一会派をつくろうというわけで「革新」という統一会派をつくることにした。しかし、社会党にも了解を取らないといけない。了解を取り付けに行く役割を大内さんが仰せつかった。大内さんは村山富市社会党委員長のところに説明に行ったが、自分の選挙区の事情など「私もつらいんだ」とか何とか、そんなことだけ言って帰った。村山さんは「何しに来たんだろう」と思った。ところが、大内さんは戻ってきて「村山委員長にも了解を取ったから」というので、「革新」会派ができた。しかし、これに社会党が激怒。村山さんという人は絶対に嘘がない人ですから、結局、大内さんが二枚舌を使ったわけです。小沢さんが大内さんに頼んだのが間違いだった。
【村山富市首相のこと】
▼村山さんは政治積みあふれる口調でおっしゃいました。「私はどうしても総理をやってくれと言われて、いわば押し上げられてなった人間だ」と。「しかし自分は、どういう経緯であれ、総理として選ばれた以上は総理としての職責を全うしなければならない」と。「ついては、自分は残念ながら閣僚経験もないし、内閣の運営について全くの素人、率直に言ってズブの素人だ。しかし、国政を預かる以上失敗は許されない。あなたはベテランだから、ぜひ助けてもらいたい」と。要するに私個人の心情において断るのはよく分かるが、そこを一つお国のために残ってくれと、ほんとうに熱心なお話で、「声涙俱(せいるいとも)に下る」という言葉がありますが、まさにそんな感じだったですね。
▼小選挙区制での第一回の衆議院選挙は橋本内閣のとき。村山内閣で仕上げをして、橋本内閣で実施に移した。村山総理は、社会党員としての立場と必ずしも相いれないようないろんな難しい問題が起こったときに、日本の総理としての立場を優先するという姿勢を徹底された。私は、これは非常に立派だと思います。個人的にはつらかったと思います。安保の問題にしても自衛隊の問題にしても、君が代の問題も然り、心情としてはつらいものがあったと思うのですが、日本国の総理としての立場に立てば、これはもうそれいか選択肢はなかったのです。
▼村山内閣で特筆すべきは阪神・淡路大震災です。世の中には大きな誤解があって、村山内閣の対応で、自衛隊の使い方がまずかったと、今でもまことしやかに言われることがあります。村山総理が社会党左派で自衛隊嫌いだから自衛隊を使おうとしなかったのでないかという人がいますが、これは全く逆です。全力であらゆる手段を尽くして対応するということで、自衛隊の派遣についても官邸の方から防衛庁に対して早く出るようにずいぶん督促しました。
【省庁再編】
▼平成13年1月、橋本政権により省庁再編があった。10省にすると言って、それから省庁を機能別に見直すということで再編成したんですが、正直に言って必ずしも成功したとは言えないと思う。というのはまったく機能の違う分野をひとつの省にまとめたというのはいかがなものか。(旧自治省と旧郵政省、厚生省と労働省)
【安保法制】
▼安倍政権は憲法解釈によって集団的自衛権の行使を可能にした。今回の一連の安全保障関連の法改正によって政府が行ったことはきわめて妥当。日本の安全保障上、必要最低限度のものは今回の施策で科確保されたと思う。
【朝日新聞】
▼オフレコの勉強会での話を朝日新聞が記事にした。朝日新聞に文句を言ったら、「そんな協定なんか知らない」。もうけしからん話です。信頼関係を裏切ったんで。だからそれからは金輪際、内輪のことは教えないことにしたんです。

最後に、もし(if)の話をしても仕方がないかも知れないが、リクルート事件がなければ、竹下総理の後は、安部慎太郎元幹事長、そして藤波孝生元官房長官が総理となり、現在のアメリカ的なものではなく、ヨーロッパ的な社会保障制度を構築していただろう。そして、バブル崩壊に際しても、渡辺美智雄元大蔵大臣が病魔に倒れずに政権を担っていたら、「失われた20年」といわれるような今のようではない日本国になっていたのではないかと思うと残念でならない。こうした道を二度と歩まないように、われわれは未来に責任を持つものとして、正しい政治家を選ばなければならない。そのために、現在行われている参議院選挙に必ず投票をしてほしいと願うばかりである。
 

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