「石原信雄回顧談」(第3巻)を読む(1)
2019年7月13日土曜日本棚
▼石原信雄回顧談最終巻です。最終巻である第三巻は内閣官房副長官としての日々について語られています。石原氏は実に、竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山と7つの政権(しかも自民、非自民とも)の官房副長官を歴任されました。非常に興味深く、読み応えたっぷりの内容です。今回も、個人的に面白かったところ、興味深かったところのみ要点を書きます。
【消費税導入】
▼竹下総理は自分の手でやると腹を決めていた。大蔵大臣5回経験のあらゆる知識を動員し、政治生命をかけて消費税の導入にあたった。所信表明演説の中で、江戸時代の農学者・石田梅岩の「もし聞く人なくば、たとひ辻立ちして成りともわれ志を述べん」という言葉を引用して、総理が辻たちをしてでも消費税を実現するという決意を述べた。
▼実は消費税は単独に創設したものではなく、所得税と法人税を5兆円減税して、その見返りとして消費税を導入するものであった。増減税をチャラにするためには消費税率を計算上は5%にする必要があった。しかし、山中貞則税調会長は、「消費税は逆進性が否定できないわけだから、増減税チャラでは国民が受け入れない。だから政府は損して得をとれ。当面は持ち出し減税にしろ」と強硬に言った。当時はまだ経済成長率がかなり高く、とにかくスタートさせることが大事だということで、政府側が折れた。
【小選挙区制】
▼自民党の中では中選挙区制の方が我が国の実情にあっているという意見がある一方で、リクルート事件の反省に基づいて、政治の浄化を図るためには、派閥選挙をなくす必要がある、そのためには小選挙区制の方がいいという、両方の意見があった。自民党としては最終的に、小選挙区比例代表並立制でいくということを討議決定した。しかし、小沢一郎幹事長、羽田孜さんは小選挙区の方がいい。伊藤正義、後藤田正晴は抜本的な政治改革のためには選挙制度改革が必要だという意見。梶山清六などは中選挙区が日本の風土にあっているからと小選挙区制には反対であった。
▼石原信雄氏の考え
中選挙区と小選挙区・比例区両方の選挙制度の下で政治を見てきたが、中選挙区時代の派閥選挙は確かに政治資金等の問題でいろいろと問題があるという意見がある。しかし、中選挙区の場合は、ひとつの選挙区で同じ政党から複数の当選者を出すことができ、そのため、新人が出やすく、なかには有能な新人が出てきた。しかし、小選挙区だと、一つの選挙区から1人であるから、公認を得たものが強い。日本はイギリスとは違って、公認は各選挙区の都道府県連が選ぶ。その際、どういう基準で選ぶかというと、優秀な人材かどうかではなく、選挙に当選しやすい人を選ぶ。選挙に勝てる人材というのは、つまり世襲である。世襲議員が増えると、政治が活力を失い、劣化することは否めない。
【大店法廃止問題】
▼大規模小売店舗法の規定により、企業が大規模店舗を地方に出そうとするときにはその地域の同意がいる。これは、中小企業対策で、地方に大型スーパーができると地元の中小商店がもたない。だから地元商店の賛成がなければ大きな店舗は造らせないという法律が議員立法でできていた。これに対し、アメリカがクレームをつけてきた。それは「トイザらス」というおもちゃ屋が新潟に進出しようとしたところ、大店法の規定をタテに地元に拒否されたのが発端である。アメリカ側はこれはおかしい、大店法が公正な競争を妨げている。だからこの法律を廃止すべしという要求であった。商工部会ははじめは指一本触れさせないといっていたが、最後は規制を緩和して手を打った。
【湾岸戦争】海部政権
▼平成2(1990)年8月、イラクがクウェートに侵攻。湾岸戦争が始まった。国連安保理が招集され、イラクに対する非難決議。その後多国籍軍が結成されたが、日本は憲法の制約があり、自衛隊を出すわけにはいかない。それでも何らかのかたちででの今日ry区は必要だというので、物資協力をしようと決めた。当初、10億ドルを出そうということになったが、連邦議会で「なんだ日本は、軍隊を出さないで、ただ乗りじゃないか」と大問題になった。湾岸地域から石油を一番多く輸入して恩恵を受けているのに、多国籍軍に軍隊を出さないだけでなく、貿易黒字が多きにもかかわらず、資金協力で10億ドルとは何事だとなった。
▼物資協力においても、車両、仮設住宅、浄水器などを輸送しようにも、船舶組合が反対し船はダメ、飛行機で運ぼうと日本航空に頼んだら、パイロット組合が反対、危険な地域には行かないという。最終的にはアメリカの業者に頼んだ。しかも値段は日本航空の半分以下で、「ご指示の場所からご指示の場所に運びます」と二つ返事。
小沢一郎、西岡武夫、加藤六月さんらが「どうして自衛隊を使わないんだ」といっても、海部総理は自衛隊嫌いで、何事によらず「民間で、民間で」だった。最後まで自衛隊はだめだった。