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40年前の約束

2019年4月2日火曜日選挙

▼本日は午前8時から、大垣市野口町にある西濃機電㈱の朝礼に参加させていただき、社員のみなさま方にご挨拶を申し上げさせていただきました。
▼企業などにコネなどない私が、どうして西濃機電㈱の朝礼にご挨拶させていただけたかというと、現在、後援会事務所として使用させていただいているビル(大垣市二葉町)がもともとは西濃機電さんがあったビルで、つまり会長とは大家と店子の関係になります。現在、後援会事務所として使わせていただいている旧本社ビルは50年以上前に建てられ、3階以上は独身寮として使われておりました。また、ビルに面して工場があり、たくさんの従業員さんたちが働いておりました。
▼私はものごころがついた頃から、親が営むお店の隣にある西濃機電さんの工場内の旋盤機などで遊ばしていただいたり、昭和40年代終わりごろにブームになった学研の「電子ブロック」でラジオの作り方を教えていただいたり、一方で、いたずらをしては叱られ、でも先代のおばあさんにちゃかりとおやつを頂いたり可愛がってもらっていました。また、生まれて初めてカラーテレビを見たのもこのころで、そのときの衝撃はいまだに鮮明に覚えております(うちはおそくまでずっと白黒テレビだったのです)。いつも遊んでいただいていた池井さんや杉岡さん、馬淵さんといったおじさんたちに「大きくなったら、うちにおいで」と言われ、「自分の家の隣だし、それもいいかも。」と思っていましたが、私が大学を卒業したころに、会社は移転していきました。それは工場のまわりが住宅街となり、工場の建て替えなどができなくなったためです。しかし、ビルは50年前のまま、タイムカプセルのように残り続けました(古いレコードなどがそのまま残っています)。そして40年後、当時の従業員さんたちとの約束が、少し違う形ではありますが実現し、「おいだ昌克後援会事務所」として使わせていただいております。昔々、みなさんが座っていた場所にいまはひとりで机に向かってこのブログも書いています。不思議なご縁を感じずにはおられません。
▼後援会事務所には、子どもの頃にお世話になった先代さんをはじめみなさんの安全祈願祭のときの写真を飾らせていただいております。すでに皆さんは他界されていますが、「やっと、帰ってきたな!」と言われているような気持になります。)このご縁を大切にして、墓前に良いご報告ができるよう最後まで頑張って参ります!

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