News・Blog

東日本大震災から8年(8)最終回

2019年3月16日土曜日活動記録

▼東日本大震災からあ8年。8回にわけて東日本大震災時の思い出を綴ってきました。今回は最終回です。私の長く稚拙な文章をお読みいただきましてありがとうございました。
▼結論から申し上げます。私はNPO設立から1年余り。ボランティアバスツアーが終了したのちにNPO大垣防災支援ネットワークを脱退することになりました。これまでも何度もお話してきましたとおり、志を同じくする小柳さんの防災福祉用品をNPOで扱うことができないかと思っていたことが否決されたこと。被災地の救援を今後も続けていきたいという私の思いと他の会員の思いが違ったことが大きな理由であると思っています。正直、自分が育てたといえば驕りかも知れませんが、1年ほど前に防災ひとづくり塾に入ってこられた人に、自分の防災に対する思いを否定されたこと、そして「公務員のくせに。」といわれたことはショックでした。一方、役所の一部からは「公務員がNPOをやっていていいのか。」と否定的に言われることも多々ありました。どちらからも否定されたそんな気持ちがしました。そんなことから、私はNPOから身を引くことにしました。一緒に小柳さんの奥さんも理事を退任されました。余談ですが、私や小柳さんを否定したその方も、ほどなくしてNPO大垣防災支援ネットワークから消えていったそうです。もともとボランティアには不向きの方だったのでしょう。一方で、私は「ひとづくり」ができたのか、「人を植えること」ができたのかと自問する日々が続いています。結論は10年ぐらいしないとわからないのかも知れません。
▼しかし、このことを機に私は「多数決」というものについては疑っています。民主主義ですから多数決による決定には従います。しかしそれが必ずしも正しい選択とは限らないと思っています。その後、小柳さんの奥さんは若くしてお亡くなりになられ、小柳さんも会社をたたまれてどこかへ行かれてしまいました。私は本当に残念でなりません。いまどうされているのかもわかりません。こうした経験から、本当に自分のやりたいことをやるには、どうしたらよいのかをずっと考えるようになりました。そして、ある市議の方に自分の悩みを相談したところ、「君がやりたいことは、市職員ではできないことばかりだ。」といわれました。「ではどうしたらできるのですか。」と問い返したところ、「政治がひとつの選択肢ではある」という言葉が返ってきました。このときから、私は公務員をやめ、政治の道を進むことができるかどうかを模索し始めました。そして、市役所を退職し、縁あって参議院議員秘書としていちから政治を学び始めました。また、NPOで挫折した経験を活かすため、別組織として「一般社団法人ミライノカタチ研究所」をたちあげ代表理事として活動しています。こちらは本当に気心の知れた人しかおりません。防災だけでなく少子高齢化、こどもたちへの教育に関してなどさまざまな活動を行っています。この決断が正しかったかどうかはわかりません。家族には本当に苦労をかけています。妻や小1の息子には申し訳ない気持ちでいっぱいです。しかし、われわれが暮らす街を次世代の方々にとってより良いまちにして残していくことで償っていきたいと思います。いよいよ一月後には「統一地方選挙」があります。私自身、決戦の場を迎えることになります。NPO大垣防災支援ネットワーク(現「防災支援ネットワーク」法人名変更)の中にも、私と志を同じくする方が何人かおられます。奥田さんは来月の選挙のときにはウグイスをしてくれます。本当にありがとうございます。高根沢さんは得意の書道の腕をいかして後援会の看板を書いてくれました。ほかにも私の後援会に入ってくださった方々ありがとうございます。私自身はいたらぬ人間なので失敗が多いのですが、これからは自分が本当に正しいと思う活動が存分にできるように頑張っていきたいと思っています。そしてNPO防災支援ネットワークをはじめ様々なボランティア団体が生き生きと活動ができるように応援していきたいと考えています。(完)

大垣防災支援ネットワークの活動(大垣ケーブルテレビ)※私も出演しています。
https://www.youtube.com/watch?v=9PeiTgKarAo

記事一覧

コンテンツを表示するにはJavaScriptを有効にしてください。