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東日本大震災から8年(2)

2019年3月12日火曜日活動記録

▼本当はすぐにでも、現地に向かいたかったのですが、市役所の防災担当者として、被災地に救援物資を送るという仕事がありました。市内の防災備蓄倉庫から、非常食や投光器などを集め、地元の西濃運輸さんのトラックで宮城県の栗原市へおくりました。また、市民に呼びかけて、衣類や乾電池、そのたさまざまなものを大垣市総合体育館に持ってきていただき、これらも航空輸送をしました。このときの仕分けボランティアには地元の中学生のほか、防災人づくり塾の2期生がたくさん来てくれました。この3か月後の6月に、2期生を中心に大垣防災支援ネットワークを発足させることとなります。
▼さて、現地には小柳さんら4人ほどで向かいました。首都高を夜10時頃に通過したのですが、銀座の街並みが真っ暗だったのが印象的でした。また、東北道ではガソリンスタンドで渋滞が発生していました。そして出発から10時間ほどで宮城県内に入ることができ、石巻、松島、七ヶ浜などをまわり、自分たちが何ができるかを考えました。現地のコンビニには全く商品がなく新聞なども当然ありませんでした。
▼そして、いろんな避難所を見て回りました。私が感じたのは、阪神淡路大震災からいくつかの震災の教訓を得て、避難所の運営はかなりスムーズにされていました。全国から来られたボランティアらが現地の自治体や社協と連携して運営がなされていました。日ごろからご指導をしていただいている名古屋市のNPOレスキューストックヤードが七ヶ浜で活動をされているのでそちらの様子を観に行かせていただきました。代表の栗田さんとも意見交換をさせていただきました。そして、小柳さんと我々にできることは何だろうと考えました。小柳さんはお体が不自由な方です。現地で仮設トイレをお借りし、利用される際にとても不便そうであると感じていました。そして小柳さんが「種田さん、あの和式トイレでは私は無理です。私だけではなくお年寄りは使うことができません。和式トイレで洋式トイレのように座って用を足せるものを作ってあげたいと思います。」と言われました。そして小柳さんが考案した和式トイレにセットするだけで洋式トイレになるイスと階段を持って被災地の避難所を回り始めました。この製作費はすべて小柳さんもちでした。私はこのことがとても心配で、何とか寄付を集めたりして小柳さんの善意を無駄にしないようにそして負担を軽くする仕組みができないだろうかと考えていました。そして、任意団体としてつくる予定だった防災グループ「大垣防災支援ネットワーク」を「NPO」にしようと決心します。(つづく)

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