災害の歴史を伝えること「災後の時代」
2019年1月20日日曜日まちのこと
▼四日市市立博物館で、四日市ぜんそくなど「四日市公害」に関する展示を見学しました。子どもから大人までわかりやすいように、映像や写真、絵本などを用いてわかりやすく展示されています。実際に小1の息子も関心を持ったらしく職員の方にいろんな質問をしていました。歴史の教科書で習ったとおり、昭和30年代において四日市では公害が発生し、多くの人が健康被害や生活被害を受けました。そこで、四日市市では、その歴史と教訓を次世代に伝えるとともに、環境改善の取り組みや、産業の発展と環境保全を両立したまちづくりを目指されているとのことです。富山県には「イタイイタイ病資料館」があり、その歴史を展示し紹介されており、一昨年、見学させていただきました。
▼では、「災害については歴史や教訓は伝えられているどうだろうか」と考えてみると、施設としては、ここ数年において私が訪れただけでも、神戸市の「人と防災未来センター」、「三条市水防学習館」「長岡震災アーカイブセンター」「おぢや震災ミュージアム」「静岡県治水交流館」「福知山市治水記念館」など枚挙にいとまがないくらいです。原爆ドームなどは、いわゆる「負の遺産」と呼ばれ、歴史上で人類が犯した愚かな過ちの出来事を記憶にとどめ、同じことを二度と起こさないための教えとして存在意義があると思います。同様に、負の遺産とまではいいませんが、自分たちの住む町で起こったこれらの好ましくない出来事をきちんと次世代に伝えていくことは、行政の大切な役割のひとつであると考えます。
▼全国的には、すべての災害についてこのように記念館などとして開示されていないケースも多いのは事実です。人間の気持ちとして、忘れたい歴史のひとつであるかも知れません。大垣市も昭和51年の9・12水害で市内の大部分が浸水した歴史があります。私の自宅も床上浸水し、その直後に、家を建て直したりしました。
▼さて、平成時代は災害の多い、災害の積み重ねの時代だったと思います。阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災、熊本地震と続き、インターバルがだんだん短くなりながら4つの大きな地震が起きたのは大きな問題だと思います。御厨貴先生(東京大学名誉教授)は、いまの時代を「災後の時代」と呼んでいます。平成に起こった災害の経験が、西日本豪雨災害に行かされているかといえば、活かされていない気がします。いろんな意味で災害を踏まえた国づくりが進んでいない気がします。そのためにも、災害の経験の共有化を「災後の時代」はどんどんやっていかなければならないと思います。地震であれ豪雨であれ、猛暑であれ、いろんな自然災害への対応に役立てるためにもアーカイブは必要です。
▼大垣市には「輪中館」という施設があり、輪中の歴史とともに9・12水害の歴史についても少し展示をしていますが、個人的には決して十分であるとは考えていません。これらの歴史について、被災した経験のある人や、行政やボランティアで災害対応をした経験のある方が元気なうちに、きちんとした水害の展示する場所を設けるべきであると考えます。具体的には、揖斐川右岸にある国交省「揖斐川河川ステーション」はどうでしょうか。「水の恩恵を受けると同時に、水と闘ってきた」水都大垣だからこそできること、しなければならないことがあるように思います。
輪中館http://www.city.ogaki.lg.jp/0000000609.html
四日市市博物館http://www.city.yokkaichi.mie.jp/yokkaichikougai-kankyoumiraikan/
富山県立イタイイタイ病資料館http://www.pref.toyama.jp/branches/1291/
人と防災未来センターhttp://www.dri.ne.jp/
長岡震災アーカイブセンターhttp://www.c-marugoto.jp/nagaoka/
おぢや震災ミュージアムhttp://c-marugoto.jp/ojiya/
静岡県治水交流館http://www.city.shizuoka.jp/000_005219.html