成人の日・永六輔さんのメッセージ
2019年1月14日月曜日本棚
▼本日1月14日は「成人の日」です。新成人となられた方、おめでとうございます。
私は、成人の日というとNHK「時論公論」で永六輔さんが新成人に対するメッセージを語っていたのを思い出します。
▼1995年の成人の日の「持論公論」では、永さんは次のようなメッセージをおくっています。「成人の日いというのは、二十歳になったことを記念して、自分が七十になった時に「どうしていればいいか」「どうするべきか」ということを考える日にしていただきたいと思います。そうすることによって、二十歳が、生まれてから二十年のただの通過点じゃなくなると思いますね。一方で、七十になった方、八十になった方というのは、自分がたどってきた人生を考えて、自分が二十歳の時に何を考えてきたかということを考え合わせる。そういうことがないと、成人の日の意味がないような気がします。もちろんこれは成人の日を迎える若者たちだけへの注文じゃなくて、かつて成人の日をへてきた、われわれもですね。僕も42年前が二十歳でした。その二十歳の時のイメージのとおりにはなっていません。なっていませんけれども、若いみなさんは、自分が年を重ねた時にどういう老人になるか、そのトレーニングを二十歳からスタートしてほしいんです、そうすることによって、ただの若さじゃなくて、その若さの中にちゃんと年老いた人の話をゆっくり聞ける余裕とか、知恵とかが蓄えられるといいなと思います。」
(永六輔「もっと、もっとしっかり日本人」より抜粋)
▼このメッセージは平成8年の成人の日のものです。平成8年といえば阪神淡路大震災(1/17)の翌年にあたり、当時、私は若手市職員として市民会館で開催された「大垣市成人式」の運営を担当をしていたことを思い出します。すでに20年以上前のことになりますが、当時は会場に改造車で乗り付けてやってくる若者もいましたし、会場内で大声を出したりする新成人には退場をお願いすることもありました。毎年、行政にとっての成人式のありかたというものを考えさせられました。現在、大垣市は成人式を大垣フォーラムホテルにおいて出身中学ごとに行われており、式の企画を自分たちで実行員会をつくって練り上げています。また、懐かしい恩師の先生なども出席されるようです。同窓会も兼ねられるためお互いに近況を報告したり、夢を語り合ったり、刺激しあったりする良い場になっています。私は自分自身の成人式は大学の定期試験のために出席することができませんでしたが、当時に比べて進歩していると感じています。永さんのメッセージにありますように、二十歳の新成人だけではなく、われわれも将来あるべき姿を考える日にしたいものです。