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NPOの源流?「粗忽長屋」

2019年1月11日金曜日まちのこと

▼落語に『粗忽長屋(そこつながや)』という有名な噺がありますが、ストーリーはというと、浅草寺の前で行き倒れを囲む大勢の人だかり。長屋に住む八五郎は、兄弟分である熊五郎に違いないと思い、長屋に帰り、熊五郎に「お前が死んでいるから引き取りに行こう」と言います。熊五郎も粗忽者なので、八五郎の話に納得してしまい、自分の死体?を引き取りに浅草寺に出かけるという噺です。※粗忽・・・「そそっかしい」こと
▼この話からわかることは、江戸時代、幕府は庶民の暮らしの世話をしなかったということです。江戸の庶民としても、幕府が何かしてくれるとは期待していなかったのかも知れませんが、自分たちの暮らしは自分たちで何とかしようとしていました。現代では、たとえば猫が家の前で死んでいたら、とりあえず役所に電話して引き取りに来てもらう人がほとんどだと思います。このように、かつては地域社会が協同で「おたがいさま精神」でやっていたことで、やらなくなったことに何があるかと考えてみると、いろいろとあるように思われます。思いつくままに述べると、「道普請」「墓地の管理」「冠婚葬祭」「無尽」「田植え」「雪かき」「野焼き」。地域によっては、まだ協同してやっているところもありますが、今では、行政がやるようになったもの、民間企業がやるようになったもの、個人だけでやっているものなどさまざまです。
▼これが決していけないと言っているわけではありません。社会構造自体が昔と現代では全く違います。資本主義経済の現代社会においては、社会を発展維持するには、ものごとがどんどん流動化し、多様化していく必要があります。流動化、多様化しなければビジネスチャンスは生まれませんし、国内経済の成長は見込めません。地域全員が農民という社会構造であったから成り立った生活慣習は、現代においては、それぞれ仕事もライフスタイルもバラバラ、しかも忙しく働くことで社会経済は動いている。かつての村全体で農業をしている時代とは違う。働いてモノを買ってもらうことで市場経済は動いています。(昭和30年代、街頭テレビしかなかったのが、40年代に各家庭に1台となり、それが個人で1台となっていったように)。悲しいかな、現代は忙しく、効率性を求める社会となっています。もう過去の「相互扶助の時代」には逆戻りすることはできないでしょう。こうなると、もう「お互いさま」の社会ではなく、悲観するわけではありませんが、いまでもわりと残っている「お祭り」や「地域の運動会」で我々の社会は何とか繋がっている部分もあるかも知れません。
▼しかし、「公的支援にばかり任せていたんじゃダメじゃないの?」という考えが出てきて、行政や企業の社会貢献事業でカバーできないところを、自分たちの力で何とかしようという人たちが出てきて、できたのがNPO(特定非営利活動法人)だと考えています。これからの時代は、行政とNPOがどのように協同し連携していくのかを模索し、新しい時代の地域社会を創っていかなければならないのではないでしょうか。

粗忽長屋(柳家小さん)
http://www.youtube.com/watch?v=2w-dYYjePyk

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