「餅つき文化」を絶やさないように
2018年12月23日日曜日まちのこと
▼私が小さい頃は、年末になると、あちらの家からもこちらの家からも、もち米を蒸す良い香りと杵と臼で餅をつく音が「ペッタンペッタン」と鳴り響き、ワクワクしながら出来立ての持ちを食べていました。
▼しかし最近では、杵と臼でお餅をつく文化は消えつつあります。我が家のご近所でもスーパーなどでお餅を買われる方がほとんどのようです。しかし、「餅つき文化」を絶やさないようにするため、大垣市新長沢町自治会では、40年以上前から毎年、餅つき大会が開催されています。私も子どものころから隣の町内にもかかわらず参加させていただいており、今年も妻と息子と一緒に参加させていただきました(妻は前日の準備から参加しております)。
▼私が子供の頃、お正月といえば、「鏡餅」のほかに「お年玉」「凧揚げ」「羽子板」「門松」「カルタ」「コマ回し」等でしたが、、最近ではこういった文化が少しずつ変わってきているように思います。我が家でこの中で生き残っているのは、鏡餅とお年玉、凧揚げぐらいでしょうか。お年玉といえば、新年に子どもが親せきや家族からもらうことが多いと思いますが、昔のお年玉は「お餅」だったそうです。これは、正月にお供えする「鏡餅」に歳神様の魂が宿ると言われ、家長が家族に魂が宿った餅を分け与えることで、生命力を与えられると考えられていたからだそうです。また、お年玉は江戸時代には庶民にも浸透していたといわれており、お餅だけではなく、品物やお金なども贈られていたそうです。その風習が現在にも受け継がれ、昭和の頃になるとお餅からお金が主流となり、贈る相手も子どもになっていきました。
▼いずれにしても、こうして楽しそうに餅つきをする子供たちの笑顔や、美味しそうにお餅を頬張る姿を見ると、この「餅つき大会」の灯を消さず、きちんと受け継いでいかなければならないと思います。