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文化行政について考えた

2018年12月8日土曜日まちのこと

Orchester ohne grenzen(オーケステル オネ グレンツェ:国境なきオーケストラ)による演奏会に行きました。当日は、ベートーヴェン「エグモント」序曲、交響曲第7番などを堪能することができました。すばらしいホールと演奏で優雅な気分に浸ることができました。今回は、私の原点である「文化行政」について書きたいと思います。
▼昭和40年代以降、わが国は経済発展により、人々の生活水準が向上、物資面で豊かな生活を送ることができるようになりました。しかし、その反面、高度経済成長の荒波の中で人間としての豊かさが失われていき、人々は心の豊かさや精神的な充足を求めるようになっていきました。大垣市においても、市民会館大ホール(座席数1,394)が開館したのは、このころ(昭和44年、私が生まれた年)だったと思いますので、これらと重なります(ちなみに、オープニング記念コンサートはヴァイオリニスト久保陽子さんによるコンサートだったと記憶しています)。また、昭和50年には文化会館(座席数602)、新図書館は昭和54年ころのオープンだったと思います。私は子どものころから、文化芸術を間近に接する大垣市に生まれて、本当に良かったぁと思った記憶があります。
▼こうした市民の文化志向の高まりと広がりを見て、昭和54年、大平正芳首相は国会の施政方針演説において「文化の時代」の到来を宣言しました。この「文化の時代」はまた「地方の時代」ともいわれ、この名のもとに各地方でも伝統文化の発掘、継承をはじめ、様々な文化活動が活発となり、それを「まちづくり」や「むらおこし」の柱とするような動きも見られるようになりました。人々の文化志向は、その後、このような芸術鑑賞する受け身の態度にとどまらず、自ら積極的に参加し、制作し、演じ、楽しもうという「参加する文化活動」へと発展していきました。
▼私は、平成6年から13年まで大垣市職員として、文化行政に従事させていただきました。当時はすでにバブル崩壊後ではありましたが、小倉満市長の文化行政に対するご理解のもと、とても充実したプログラムを市民に提供することができました(いまも、市文化事業団ががんばっています。)音楽も美術も演劇も国内の一流のものをお招きしました。
文化行政はどこの地域でも冬の時代に入っています。お金がないのなら知恵と工夫を凝らした文化行政ができるのではないでしょうか。文化行政については思い入れがあるので、またこのテーマで書きたいと思います。

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